本質からそれた教育は、社会悪

OHON ESSAY

本質から逸れた教育は、社会悪

Education is not entertainment.

TikTokを見ていたら、ある有名な教育系インフルエンサー(?)の動画が流れてきました。

「分数=分数の方程式」の裏ワザを紹介するよ!分母と分子を掛け合わせてイコールで結べば解ける!

だそうです。呆れすぎてTikTokをアンインストールしそうになりました。

最近の教育コンテンツには、「裏技」「最速」「これだけ覚えればOK」が溢れています。そして、それを見た人たちが「こんなの知らなかった!分かりやすすぎる!」とリアクションしている。

しかし、それは教育ではありません。

確かに、その問題は解けるでしょう。

でも、その人は「なぜそうしていいのか」を理解したでしょうか。

等式とは何か。分母を払うとは何か。

そこを理解していなければ、問題の形が少し変わった瞬間に止まります。

それは理解ではありません。

教育は、暗記した操作を増やすことではありません。
原理を理解し、自分で考えられる状態をつくることです。

私は、教育者に最も必要なのは「教える技術」ではないと思っています。

もちろん、分かりやすく話すことは重要です。

しかし、それは最後の仕上げです。

土台ではありません。

本当に必要なのは、圧倒的な専門性です。

専門性とは、「難しい言葉を知っていること」ではありません。

その分野を深く学び、「なぜそうなるのか」を何段階も上から見渡せることです。

そのうえで本質を噛み砕いて伝えるとか、それをするのが仕事でしょう。

だから、生徒の「なんで?」に答えられる。

だから、教科書には書いていない本質まで説明できる。

自分が中学レベルまでしか理解していない人は、仮にそれが完璧だとして、中学生に教えることはできても、「育てる」ことはできないでしょう。

おもしろさを伝えることも、もちろんできません。

この「おもしろい」は、funnyではなくinterestingです。

最近は、SNSで人気が出れば「教育者」として扱われます。

その本質をスルーしてしょうもない裏技を教えているだけなのに、です。

インフルエンサーとしてはそれが正解でしょうし、純粋にすごいとは思いますよ。

でも、教育コンテンツは、エンターテインメントであってはいけません。

面白さや分かりやすさは必要です。

しかし、それらは本質を伝えるための手段です。

本質を削ってまで再生数を取りにいくなら、それは教育ではなく娯楽です。

娯楽として見るなら構いません。

でも、それを教育だと思ってしまう生徒が増えることが問題なのです。

本質を理解せず、小手先のテクニックだけ覚える。

「なぜ?」を考えず、「次の裏技」を探す。

そんな学び方が当たり前になれば、考える力は育ちません。

私は、教育の役割は、問題を解けるようにすることではないと思っています。
考えられる人を育てることです。

分数の方程式の解き方をその裏技で身につけた人が、数学に興味を持つことはまず無いだろうし、「とりあえず何も無い試験管が置いてあったら対照実験!」とか教わった人が理科に興味を持つわけはない。

だから僕は、本質から逸れた教育は、社会悪だと思います、

考える文化、または未来そのものを壊してしまうから。

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